ばあちゃんの「うどん」

 私は幼少期、母方の実家で祖父と祖母と過ごす時間が沢山ありました。
もちろん、休日は父と母と過ごす事も沢山ありましたが、父と母は共働きだったため、私が幼稚園から帰宅する途中、近所の神社まで先生方が見送りをしてくれて解散すると、必ず祖父が迎えに来てくれました。

祖父と祖母の家は庭が広く、庭の周りには木や花々が咲いていて、庭の角には祖父の手造りの小さな池がありました。
私は妹と庭で遊ぶのが毎日の日課でもあるくらい、外が大好きで、
庭にある石を持ち上げると、蟻の大軍が声を挙げて一生懸命に働き、草を掻き分けるとコオロギや青虫が私を見て驚き逃げまとい、池の鯉のエサやりで、お麩を柔らかくしてあげると「ありがとう」と言って鯉たちは喜びの水しぶきをかけてきたり、
祖母の手伝いで、ザルに乗せた里芋わをタワシで洗い水をかけると、里芋がココに至るまでの旅の話が聞こえ、、
それを鍋でグツグツと煮込む音を聞くと「食べごろだよ。収穫ご苦労さま。」と、まるで里芋の声が聞こえた気がするような毎日でした。

今思うと私は、自然に自然とふれあえる環境の中で、自然とそれらと"対話"をしていたのかもしれません。

祖母は、庭に植えたニラを見て私に「今日はうどんを採ろう。うどんを採ってきておくれ。」と良く言ってくれたものです。
傍から聞いたらなんの事か分からないようですが、私達にとってはそれは「合言葉」のように魂が安らぐ瞬間だったのです。

父と母が大好きなように、祖父と祖母の事も同じように大好きです

それはあたたかく、穏やかで、風をあびて深呼吸する時のように、ゆるやかな豊かさや温もりを感じました。

そのお陰で、時々ニラたまを作ろう。などと、ニラを使った料理をしようとする時、つい祖母が語っていた「うどん」を思い出してしまい、思わず「クスッと」してしまう癖のようなものは抜けません。

祖母が残した合言葉は、私が思わず笑ってしまうように仕掛けてくれた「やわらかな"愛"」だったのかもしれないと、思い出す度に胸があたたかくなります。

また今現在、私の家の庭にも沢山の"うどん"が風の声に乗って収穫時期を待っているところです。